ユーゴスラヴィア関連・参考文献・リスト2
「単行本」
ベオグラードの夏-ユーゴ自主管理の無歴史と現実 梅本浩史 社会評論社 1979,7,
ユーゴスラヴィアの実験 柴宜弘 岩波ブックレット・岩波書店 1991,6,
国連の死の商人 広瀬隆 八月書館 1992,8,
ユーゴスラヴィアで何が起きているか 柴宜弘 岩波ブックレット・岩波書店 1993,5,
目をとじれば平和が見える-旧ユーゴスラビアの子どもたちの描く戦争・ユニセフ編・ほるぷ出版 1994,5,
サラエボ旅行案内 FAMA 編輯3 三修社 1994,11,
ベオグラード日記-1995 発行者:NGO国際市民ネットワーク暉峻淑子 1995,7,
難民つくらぬ世界へ 緒方貞子 岩波ブックレット・岩波書店 1996,2,
はるか戦火を逃れて 中屋敷郁子 講談社 1996,1,
ボスニア-一人ぼっちの救出作戦 水口康成 日本放送出版協会 1996,3,
バルカンの民族主義 柴宜弘 世界史リブレット・山川出版社 1996,4,
バルカンに生きる-旧ユーゴ内戦の記録’91-96 水口康成 日本放送出版協会 1996,5,
コソボ紛争 町田幸彦 岩波ブックレット・岩波書店 1999,8,
コソボ難民救済-NGOが国際赤十字で考えたこと 大橋正明JICPブックレット・国際協力出版会 1999,9,
「空爆されたらサヨウナラ」戦場のコソボ決死の撮影記 宮嶋茂樹 祥伝社黄金文庫 2000,2
戦場特派員 橋田信介 実業之日本社 2001,12,
アメリカの人道的軍事主義-コソボの教訓 ノーム・チョムスキー 現代企画室 2002,4,
ボスニア戦争報道-メディアの表象と翻訳行為 坪井睦子 みすず書房 2013,3,
「月刊誌・週刊誌」
誰も知らないPKO 編集人:鈴木力 週刊プレイボーイ別冊集英社 1992,10
ボスニア戦争軍事レポ 加藤健次郎 軍事研究344号 1994,11,
総特集-ユーゴスラヴィア解体 現代思想25巻14号 青土社 1997,12,
愚者の十字軍 : ユーゴスラビア・NATO・西洋の迷妄 (特集 戦争の正体 : 虐殺のポリティカルエコノミー)
ダイアナ ジョンストン,原 民樹 訳 掲載誌 現代思想 42巻(15号) 2014-11 p.130-140
ユーゴスラヴィア関係記事・ネット情報
*ネット情報はまだ手付かずですが、とりあえず、ご参考までに。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yugo.html
ユーゴ戦争:報道批判特集@憎まれ愚痴 木村愛二
緊急ユーゴ特集:縮小総合リンク http://www.jca.apc.org/~altmedka/yugo-small.html
基本的提言:熟年・非武装・無抵抗・平和部隊/
「戦争報道」の政治的位置付け温故知新/
北朝鮮に警告射撃、ユーゴに空爆、本誌にメール爆弾?!/
「モニカ戦争」コソボ空爆の歴史背景疑惑/
好戦報道を疑うための「3題話」/
コソボの止まらない非武装平和部隊の提言/
セルビアはファッショか否か論争に一言/
コソボ問題での自主メディアへの過信の危険/
アムネスティ報告に曲訳?!/
誤爆報道で消えた「民族浄化」?/
BBC-NHKユーゴ特集が立証する民族浄化の嘘/
誤爆再論・米軍事評論家も技術に疑念/
判定・アメリカ敗れたり!/
アルバニア系10万人の不明が殺害?/
ユーゴ空爆の基本的構造の考察/
検証(1):ユ-ゴ「民族浄化」の定義と真相(1)/
コソボ難民支援で税金2億円の行方?/
ユーゴ「戦争」の用語表現を巡る雑談/
一方的報道(『ボスニア戦記』)による悪魔化/
旧ユーゴ国際戦争犯罪法廷の規則(英文)/
国際戦争犯罪法廷に起訴されるべきはNATOだ!/
前例・ニュルンベルグ裁判所/
コソボ解放軍(KLA)麻薬謀略作戦/
米警察ユーゴ反戦デモ不許可・抗議を!/
コソボ撤退受諾:騙し討ちを許すな!/
検証(2):農民虐殺デッチ上げでBBC他を戦犯告発/
検証(3):何とまた『読売新聞』だけが「演出」疑惑を報道/
検証(4):朝日は遅れてローマ発米従属記事/
検証(5):Racak共同全配信、裁判所規定入手/
検証(6):Racak事件発生当初のセルビア内務省声明/
勝利宣言うわずり鉄の女vs桶狭間ロシア軍/
Racak検証(7):セルビア内務省声明訳文&訂正/
Racak検証(8):最も扇情的だった読売新聞/
旧ユーゴ国際裁判所規定/
Racak検証(9):共同通信「ラチャク」村事件の配信状況/
Ramsey Clark国際戦争犯罪法廷の呼び掛け/
Racak検証(10):『ル・モンド』(1999.1.21)/
Racak検証(11):『リベラシオン』(1999.1.22)記事/
Racak検証(12):『ワシントン・ポスト』(1999.1.28)記事/
ユーゴ「虐殺」報道他の裏話/
Racak検証(13):「真偽めぐり論争」KLA制服?/
Racak検証(14):ペンは剣より酷い「発表報道」の典型/
劣化ウラン弾禁止国際キャンペーン発足/
ユーゴでも使われた劣化ウラン弾の科学論文/
NATOを裁く国際戦争犯罪法廷の調査項目/
(英文)NATOを裁く国際戦争犯罪法廷の点検項目/
ユーゴ連邦、1100万人「勝利!」の判定/
Racak検証(15):市民を汚染する作為情報/
アメリカ議会でユーゴ問題外交極秘メモ暴露/
バルカン半島を破滅に導くアメリカの誤算/
ユーゴの次にロシア分解で狙うカスピ海底油田/
Racak検証(16):ラチャク「虐殺」発表者ウォーカーの正体(前)/
Racak検証(17):ラチャク「虐殺」発表者ウォーカーの正体(後)/
Racak検証(18):待望の『ル・フィガロ』記事(前)/
Racak検証(19):仏疑惑報道を国際行動センターも感知/
訪米報告(1):ユーゴ戦争で米ユダヤ人社会に亀裂/
訪米報告(2):KLA sag(ゴロツキ)か、NATO & G7 sagか?/
Racak検証(20):NHKユーゴ「虐殺」録画求む!/
Racak検証(21):NHK&東大教授が陥ったKLA売り込み映像の罠/
初端からユーゴ戦争は大手デマ宣伝横行/
Racak検証(22):待望の紙ゲリラ反撃はワシントン取材/
Racak検証(23):NHK「現地ルポ」採用の危うさ/
NHKコソボ「お利口」特集のNATO提灯持ちに唖然/
ユーゴ発表:ユーゴ戦争の被害と告発/
ユーゴ挑発Annex-B国際ザル報道に憮然!/
コソボの人口、90%アルバニア系、か?/
NHKの嘘、嘘、大嘘、「大本営発表」!/
Racak検証(24):先のユーゴ戦争mail&HPに注記/
Racak検証(25):記事紹介『週プレ』(1999.8.31)/
『週刊プレイボーイ』連載総合(1~)一括リンク/
Racak検証(26):<正義のゲリラ>コソボ解放軍の驚くべき正体/
Racak検証(27):[麻薬密輸]マフィアに汚されたコソボの大地/
Racak検証(28):アメリカが行ってきた悪魔の情報操作/
コソボ国際ザル報道の最新驚愕実例/
(Playboy6)ユーゴ高官が告発する《NATO空爆》の大嘘
(Playboy7)ユーゴ軍司令部高官/怒りのNATO批判/
(Playboy8)KLAと米政界の《闇》の同盟を暴け!/
(Playboy9)KLAから米政界に流れた『黒い金』/
(Playboy10)NATOが犯した"環境汚染"という大罪/
(Playboy11)NATOが撃ち込んだ劣化ウラン弾という悪魔/
(Playboy12)セルビア人ジャーナリストが目撃した『コソボの悪夢』/
(Playboy13)ヨーロッパが狙ったコソボの《眠れる天然資源》/
http://okojobin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/4.htm
12/05/12 オコジョのブログ 「私の闇の奥」
「人道的介入」問題・資料編 「ラチャク虐殺」に関して
ラチャクで起こったのは、セルビアによる「民族浄化」の虐殺などではなかったということ、空爆を実現するための「でっち上げ」だったことが、明らかになっています。
セルビアの軍や警察が、コソボに住むアルバニア系一般住民を迫害していたというイメージが流布されていますが、意図的・組織的に広められたウソです。空爆前から、コソボ解放軍(KLA)を名乗るアルバニア系の武装集団が米国の支援を受けて暗躍していたという実態があります。
米国はこの組織を、それまで「テロリスト」に分類していましたが、ユーゴ解体のために活用できると気づいてからは、別働隊として様々な工作をさせるようになりました。
その一つが「ラチャク虐殺」であり、その背景について「ユーゴ戦争:報道批判特集」に以下のような記述があります。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-36-pl2.html
私はワシントンでラチャック村虐殺事件の調査を進めるうちに、そのことを示す爆弾証言を諜報筋に近いある政府関係者から入手した。絶対にオフレコを約束した手前、ここでは彼をBと呼ぼう。
Bは言う。「ラチャック事件は完全なセットアップだった。あの虐殺事件が起きる前、国務省の高官がKLAのリーダー、ハシム・タチに電話を入れている。そこで彼は、虐殺事件をひとつデッチ上げてくれ、とタチに依頼したのだ。虐殺事件らしきものが起きれば、空爆をチラつかせてミロシェピッチを脅し上げ、ランブイエ交渉にユーゴを引きずり出す大義名分ができるからだ」
以下、経緯を同じシリーズより引用します。共同通信からの配信です。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-25-kyo.html
1999.03.10.「セルビア側の報告書は40遺体のうち37遺体から、銃を撃ったことを示す化学物質が見つかったほか、すべての遺体の傷が、処刑の際にみられる至近距離のものではなかったと指摘」。
1999.03.16.「ユーゴスラビアの政府系紙ポリティカは、[中略]欧州連合(EU)調査団が、事件は虐殺ではなく、セルビア警官との銃撃戦によるものだという報告書をまとめた、と伝えた」。
1999.03.17.「欧州連合(EU)調査団は17日、州都プリシュティナで、ユーゴ側の虐殺かどうかを断定できなかったとする最終報告書を発表した。[中略]会見したランタ調査団長は、[中略]適当な司法機関による調査を待つべきだと述べた」。
この「会見」の一週間後、「適当な司法機関による調査を待つ」ことなく、空爆が開始されたのです。
状況証拠をつぶさに検討するとKLA(コソボ解放軍)がセルビア警察軍との戦闘で死んだ戦闘員の死体をひとつの場所に集め、虐殺現場をセットアップしたとしか考えられないのである。
「絶滅収容所」に関して
『人道的帝国主義』P.117から、ベルナール・クシュネルとアリア・イゼトベゴビッチとの対話を引用します。
コソボへの介入に先行して、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争がありました。ここから、セルビアを悪魔化するキャンペーンが始まっています。
イゼトベゴビッチは、この紛争時のボスニア側指導者で、後の国家元首。晩年に心臓病をわずらって、政界を引退し自宅療養していましたが、2003年になくなりました。
その、病床でのインタビューです。
クシュネルは、ジャーナリスト・医師・政治家。その後離脱しましたが、「国境なき医師団」の設立者の一人です。
会話の中に出てくる地名「オマルスカ」は、「(セルビア人による、ボスニア・クロアチア人の)絶滅収容所」があるとされたボスニア北部の町です。
以下、会話の主体が分かるように変更してあります。
クシュネルは「クシュ」、イゼトベゴビッチは「イゼト」と表記します。
クシュ「ミッテラン大統領の訪問のことを覚えていますか」
イゼト「今も感謝しております」
クシュ「ミッテランとの対話の中で、あなたはボスニアの「絶滅収容所」のことに触れ、記者たちの前でもそれを繰り返した。それで、世界中が大騒ぎになりました。ミッテランは私をオマルスカに派遣し、われわれは他の監獄の中にも入りました。恐ろしい場所でしたが、組織的な絶滅は行われていなかった。ご存じでしたか」
イゼト「知っていました。私の暴露が空爆を早めるかもしれないと思っていました。フランスとその反応を見ていました。[……]私は間違っていました。(中略)たしかに恐ろしい場所ではあったけれど、絶滅収容所はなかったのです。」
(『平和の戦士』 ベルナール・クシュネル 2004年)
この会談については、以下の記事にも言及があります。
Srebrenica
Revisited by DIANA JOHNSTONE
http://www.counterpunch.org/2005/10/12/srebrenica-revisited/
この記事は、全文を引用したいところです。ぜひ参照してみてください。
以下に、ほんの一部を引用します。
The subliminal message in the official Srebrenica discourse is
that because "we" let that happen, "we" mustn’t let "it" happen again, ergo, the United States should
preventively bomb potential perpetrators of "genocide". Whatever
happened in Srebrenica could have best been prevented, not by U.S. or NATO
bombing, but by preventing civil war from breaking out in Bosnia Herzegovina to
begin with.
(スレブレニツァについての公式見解に内在するサブリミナル・メッセージは、こうだ。“「われわれ」はそれが起こるのを許してしまった。「われわれ」は、再びそれが起きることを許してはならない―故に、米国は「ジェノサイド」を犯す可能性のある者たちの上に予防的に爆弾を浴びせるべきである”
スレブレニツァで何が起きたにしろ、それを最も望ましい形で阻止できた筈だったのは、米国やNATOによる空爆などではない。そもそもの初めに、ボスニア・ヘルツェゴビナで内戦が勃発するのを阻止しておけばよかったのだ)
The notion that war can be made "clean", played
according to rules, should not be the main focus of international law or of
peace movements. War first of all needs to be prevented, not policed.
(戦争は“きれいに”行うべきだとか、ルールに従って進めるべきだとか、そんなことが国際法や平和運動の関心の第一になってはならない。戦争というのは、まず避けるべきもので、政治化するべきものではない)
「ランブイエ合意」に関して
「ランブイエ合意」は、1999年3月18日に交わされたコソボ紛争の処理にかかわる多国間協定です。アルバニア、アメリカ、英国の代表は署名し、セルビア、ロシアは署名を拒否しました。交渉打ち切りということになり、空爆が開始されます。
『人道的帝国主義』では、米国・NATOに交渉をまとめる気持ちはもともとなく、空爆を正当化するためのジェスチャーに過ぎないと論じています。
以下、P.229からの引用。
軍事主義とかNATO寄りからはおよそ縁遠い週刊誌『チャーリー・エブド』(第358号、10ページ)にはこうある。西欧は「あらゆる外交手段を使い果たし」た上、「これ以上ない礼儀」さえも尽くし切った。では、イデオロギー上の大宣伝に乗り出す前に、テクストそのものを読めば、どうか。たとえば、ランブイエ合意を見てみる。
この合意の最も重要な面は、「協定を施行する他国軍の地位」にかかわるものだ。そこで確認できるのは、次のことである。「NATO軍のスタッフ、車両、船舶、飛行機および装備はユーゴ連邦内の自由かつ無制限の通過と、空中・河川空間への支障なき立入りを認められる。さらに、野営、操作、宿泊、支援、訓練、作戦に必要な場所と便宜の利用の権利もそこに無制限に含まれる」(第八条)。これがコソボだけでなく、ユーゴ全領土にかかわることに注目したい。NATO軍は無償でユーゴ全土の空港、道路、鉄道、港湾、通信施設を利用できる(同11項と15項)。NATO軍スタッフはユーゴ当局によるあらゆる追跡・調査から保護される(同6項と7項)。また、協定の他の部分には、奇妙な細目、たとえばコソボ経済が原則的に自由市場の支配を受けるという項目も見られる(第一条4a章)。これは「自由市場」の要求を意図したものだが、しかし(たとえば)コソボ鉱山の民営化が交渉もせずに平和協定に組み込まれると主張することは、まず無理だろう。
ここで、一連の疑問が次々と出てくる。まず、丸ごと呑むか呑まぬかと「提案された」こうした案をいったいどこの主権国家が(空爆の威嚇の下で)受け入れるのか。答えは明白だ、どこにもありえない。この協定は、降伏した国に押しつけられる類の合意である。次にNATO各国を代表するプロの外交官たちが、ランブイエでの自分たちの提案が却下されるのを予測できなかったなど、本気で信じられるだろうか。これもありえない。最後に、何百人ものジャーナリスト―その中にはNATO寄りとは一番考えにくい記者たちもいたのに―によって、この不公平な協定はあらゆる外交手段を尽くした結果であるとか、聞き分けのないユーゴスラビアに対しては爆撃だけが「コソボ人を守る」とか、そうした言説がたえず繰り返し報じられる事態はなぜ生じたのか。実は、(コソボの自治にかんする)提案の民事的部分については、ユーゴスラビアはほとんど合意していた。問題は軍事的部分にあった。しかし、西欧側がそこで要求していた内容を見れば、これをユーゴスラビアが受け入れなかったのも驚くには当たらない。
「憎まれ愚痴」
上に引用した条文は、実は交渉の最終段階になって急遽追加されたものだったのです。
つまり、この条文がまだ入っていない協定に関しては、ユーゴスラビアの方では受け入れるつもりがあったのに対して、アルバニア側が署名を拒否して交渉を引き延ばしていた。
ところが、最後になってオルブライトがやってきて、条文を追加するとアルバニアもすぐに署名する。追加された条文はとうてい受け入れることが出来ない内容なのでユーゴ側は拒否する―結果的に、ユーゴが合意を拒否したという事実が作られ、空爆が可能になるわけです。
以下、原文を引用しておきます。
「憎まれ愚痴」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-36-pl2.html
当初、連絡調整グループが作り上げた草案は基本的にコソボの自治権に関するものだった。交渉はこれを叩き台にして進み、期限の20日にはユーゴ側は合意を受け入れるつもりでいた。が、最終日がきてもKLAのハシム・タチを含めたアルバニア代表団は合意文書への署名を拒否し続けた。
そしてその日、それまで交渉に参加していなかったオルブライトがランブイエに到着する。彼女は即座に交渉を3日間延長させ、アルバニア側との折衝に入った。事態が急展開したのはその2日後である。オルブライトは合意文書に新たな事項を付け加えてきたのだ。それを一読したユーゴ代表団は愕然とした。
ここにアネックスBと呼ばれる追加事項の問題の部分を要約して記す。
「NATO軍はユーゴ連邦全域を自由に制限を受けずに移動でき、いかなる場所、施設をも、その後方支援、訓練、作戦のために使用することができる。また、NATO軍の人員による犯罪行為はユーゴの法律で裁くことはできない」
敗戦国でない限り、このような文書にサインする国は世界のどこを探してもないだろう。太平洋戦争勃発を前にアメリカが日本に叩きつけたハル・ノートのようなものだ。こんなものに署名すれば、NATO軍の部隊に大統領府から書類をごっそり持ち出されても、それどころかミロシェビッチを殺害されてもユーゴ政府はなんの文句も言えないことになるのだ。そもそもなぜコソボの平和実施部隊がユーゴ連邦の領内(セルビアとモンテネグロ)を自由に移動する必要があるのか理解に苦しむのは私だけではないだろう。
上記は、『週刊プレイボーイ』に連載された記事だとのことですが、週刊誌ジャーナリズムとバカにしてはいけません。センセーションをねらったいい加減な記事などではなく、裏づけをとることも可能な事実に基づいています。
Wikipediaにも"Rambouillet Agreement"についてのページがあります。
wikipedia
"Rambouillet Agreement"
http://www.sccs.swarthmore.edu/users/08/ajb/tmve/wiki100k/docs/Rambouillet_Agreement.html
この中には、政府高官の次のような言葉も出てきます。
A republican foreign-policy aide later told a think tank that he'd heard a US official say: “We intentionally set the bar too high for the Serbs to comply. They need some bombing, and that's what they are going to get.
西欧の特権に関して
『人道的帝国主義』P.115 よりの引用。
新しい知的勢力の基本的な考え方は単純である。民主的権利と人権は他のどこよりも西欧で尊重されており、これを人類の他の部分に広げるようにするのが、われわれの権利であり、義務でさえある、という考えだ。
2012年5月12日 (土) 「私の闇の奥」へトラックバック |
米国の「セルビア人悪玉論」とボスニア紛争 |
小寺 香 http://www1.meijigakuin.ac.jp/~akizuki/zemi/9904/ronbun/kodera.htm |
国際社会のボスニア紛争に対する見解は、セルビア人勢力が「大セルビア主義を背景にクロアチア人やムスリム人を民族浄化しようと侵略している」と言うものが主流である。そしてその世論に基づき、国際組織はセルビア人側への制裁や空爆を行った。過去における繋がりを深く持つ欧米で、感情的な「セルビア人悪玉論」が生まれることは、不可抗力であるかもしれない。だが、それが国際組織の意思決定として用いられようとするとき重要な役割を果たすのが、歴史的因果のない日本のような国の抑止力であった。しかし、日本はボスニア紛争をはじめとする旧ユーゴの情報を欧米に頼り、欧米での「セルビア人悪玉論」を深く検証しようとしなかった。本稿では、欧米によって形成された世界世論にたいする依存の危険性を考えるために、セルビア側への制裁や空爆に踏み切った国際社会に多大な影響を与える米国を取り上げ、そこでの「セルビア人悪玉論」について考える。また、ボスニア紛争をセルビア側からの視点で捉えることで、その複雑性、多様性を認識し、人間の中に潜む偏見による判断の危険性の一考察としたい。 |
≪参考文献≫ |